センター試験現代文0点による雑記

日々の備忘録や思ったこと

プレゼントを渡すのは難しい

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私は現在悩みを抱えている。

どのような悩みかと言うと、あるネットの友人とスプラトゥーン桃鉄などを一緒にやりたいため、その人にSwitch本体やゲームソフトをプレゼントしたいと思っている。

もっと言うと、相手のためではなくて、自分がその人とやりたいから、送りつけてやりたいくらいの気持ちである。

ただ、そんなことをしてしまっては相手に「申し訳ない」「きもちわるっ」と思われてしまう可能性があり、プレゼントができないという悩みがある。

 

プレゼントって相手と自分の関係性やメッセージ性を如実に示すものだと思っている。だからこそ、ただ高価なもの渡せば良いというものではないし、

「自分と相手の関係性ってどんなだったっけ?」と改めて考える必要がある。

あとは受け取る側も

「え?私とあなたの関係性でこんなものを受け取ってもいいんですか?」

というふうに思うことがある。この思考こそが、プレゼントをもらっているのにも関わらず「引いてしまう」という感覚を招いているのだと思う。

なぜ引くのか。恐らくではあるが、

プレゼントをもらった際に、良くも悪くも"同等のものを返さなければならない"という気持ちが働くからだと考えている。この感情を「返報性の原理」というが、これは別の機会に書きたい。

 

さっそく、本題。受け取りやすいプレゼントとは何なのか適当に3つ考えた。

まず1つは「手間がかかっているか」

手間はプレゼントを用意する時にかかる時間やお金。

例えば、推しのグッズをプレゼントする場合。

1.都市部の映画館限定配布のもの

2.ネット通販で手に入るもの

1の方が手間がかかっているよね。

手間が必要以上にかかっていると受け取る側が、こんなにしてもらって困るよ〜と思うわけである。

 

2つ目は「周りの人に言えるか」

プレゼントをされたときに感謝を伝えるためにsnsにアップすることって結構あると思う。

プロポーズされて結婚指輪もらいました!みたいな。

これって手間がかかっているが、周りから見ても、その2人の関係性なら理解されるし、本人たちも周りに言える。

ただ、この人何なんだみたいな関係の人に、高価なプレゼントされてるの見ると、なんか引いてしまう。所謂貢物である。

これって周りからの目を気にして、周りに言えないことがある。言える人にはプレゼントしてもいいが、言えない人には迷惑になることもある。

周りに言えるかどうかというのは、2人の関係性に相応しいプレゼントなのかを判断する要素になる。

 

最後3つ目は 「プレゼントする側にメリットがあるか」

これは最初の悩みに繋がってくるのだが、一緒にゲームをしたいのに、

「Switchがないからできません。」

と言われた時に、買ってあげるから一緒にやらん?って私は思ってしまう。

そして、買ってあげたことで定期的に一緒遊ぶことができるなら、自分にもメリットがあるじゃんと思う。

個人に対して行うクラウドファンディングみたいなもので、支援した側にメリットがあるという状態、これってなんかもう、物を買ってるのと変わらないと思うんだよね。

あとは受け取りやすいと思ってもらえるかどうかがネックになってくる。

 

以上を踏まえて、Switchをネットの友人にあげるか否か。

少し高価ではあるが、手間は大してかかってない。自分にもメリットがある。あとは相手が周りに言えるかどうか…。

Switch買ってもらいました!ということが言えるかどうかは賛否がすごく分かれる。分かれるということは、プレゼントとしては適していないのかなぁと思ってしまう。

 

プレゼントっていうのは、自分があげたい!という気持ちだけで成立するものじゃないっていうのは思うし、恋人や友人に対して渡すプレゼントっていうのはよく考えなければならないと、ふと思った。

見えない浮気

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浮気の定義は人それぞれである。

「2人で出かけたら」「手をつないだら」「キスをしたら」「ホテルに行ったら」

中には「心が動いたら浮気」などと、発狂してしまいそうなことをいう人もいる。

内緒で遊びに行った・身体の関係を持ってしまった等の浮気は実害のある見える浮気である。

今回は先ほどの「心が動いたら浮気」(以下、「心の浮気」)に着目する。

この目では見ることのできない「心の浮気」の正体と付き合い方について考えたい。

 

そもそも「心の浮気」とは何か。

心の浮気とは、通常ならパートナーに向ける感情的なエネルギーと性的なエネルギーを他の人に向け、結果として当初のパートナーと築いてきた関係の価値を落とすこと。(心理学者サマンサ・ロッドマンより引用)

要は、心の中でパートナー以外の異性に好意を寄せることを意味している。

はい。定義は理解できました。

だが実際、他人の心の奥底の想いなど理解することができるだろうか?

「心の浮気」を認識できるのは、ただの自分自身だけであり、他人の心なんてものは、その人の言動・行動より推測することしかできない。

 

例えば、彼女に他の女性と連絡をとっていたことがバレたとする。この時、彼女が不機嫌になってしまった。それはなぜか。

「他の女性と連絡をとっているならば、その人のことが好きなのだろう」「隠れて連絡をとっているならば、その人のことが好きなのだろう」「内緒で遊んでいたならば、その人のことが好きなのだろう」と彼女が考えているからだと思う。

そして、私以外の女とそんなことをするなんて許せない、という怒りから「浮気だ!」と文句を言ったり、不機嫌になったりする。

このとき、彼女のことを本当に一番に愛しており、「心の浮気」なんてないといくら主張しても、おそらく彼女には伝わらない。

行動によって、彼女に浮気なんてないんだと疑念を晴らすか、彼女に浮気と推測されてしまう行動を取らないことでしか信用を取り戻すことはできない。

 

逆のパターン、過去に付き合った女性のことを今でも好きな場合を仮定する。

だが、それによって連絡を取っていたり、昔話として話したり、インスタを見たりしていなければ、彼女や他人から「浮気だ」と指摘されることはない。

 

つまり、「心の浮気」というものは自分の行動によって決まる。しかも、嘘をつくことも可能である。

一晩でいいから女性の温もりを感じたい、一緒に寝たい、そのように思っていたとしても、行動に移さなければ世界は何も変わらない。

ということは、心の中で彼女以外に好きな子がいるなど、何かを考えること自体には良いも悪いもない。

 

見えない浮気、「心の浮気」に付き合うことによって失ってしまう時間、メンタル、人間関係と

「心の浮気」なんてわからんわ!!!と振り払う方向に努力をすること

どちらを選んで行動するのかはあなたが決めれば良い。

 

別に、私たちなら心から分かり合える!って人たちの邪魔をしたいわけじゃない。

ただ、目の前の人間が本当に自分のことを想っているかなんてものは、結局はところわからないし、それは行動から推測することしかできないという感覚は持っておいた方が良いと思う。

 

ちなみに「心の浮気」なんてものはそもそも存在していないというのが自分の意見だが、そんなことはどうでもいいし、真正面から語ったら嫌われるから文章に留めておく。

性癖を話しづらい世の中

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性癖って十人十色で飲み会などで話すネタとして盛り上がるネタの1つだと思ってるけど、この性癖という概念に対しての理解があまりに低すぎる。

 

性癖って軽いものから重いものまであり、全て公開してる人が少ないのは、理解をしてもらえないから、あるいは理解されなかった経験があるからじゃないだろうか。

 

軽いもの(人に言えるもの)でいうと、巨乳や熟女やロリ等の身体的要素を表したものが多いと思う。

重いものの例としては、痴漢、レイプ、寝取られ、放尿、露出、sm、監禁などがあるのかなと思っている。重いものっていうのは、相手が必要であったり、複数人で作り上げていくプレイが多いのかもしれないね。

 

さて、人に言える性癖と言えない性癖がなんとなくわかったところで、なぜ人に言えないかを考える。

おそらく、人に言ったら引かれるかもしれない・嫌われるかもしれない等を恐れていることに起因してるのではないだろうか?

じゃあ引かれるのか?ひいてはなぜ引いてしまうのか?

この引いてしまうという状態こそが性癖に対する理解の低さの表れだと思う。

 

仮に、私が大勢に見られるかもしれない状況が好きという性癖を持っていたとする。仮にね。

では、それを好意を寄せている女性としたいか?と聞かれたら、別にそういうわけではない。

ただ、その状況下において通常よりも興奮するだけであり、その他レイプや痴漢、なんかも彼女がされて、良しと思うやつはきっと多くない。
つまり、多数の人間は性癖というものを好きな人に対して求めているわけではないと推測できる。

 

av等でそんなシチュエーションを見て興奮するのは、av女優なんてのは自分に関係ないし、くそどうでもいいから、どんな目に合ってても興奮できるだけだということ。

つまり、性癖って身近な人に対して求めるものじゃない。それなのに、目の前の人間が勇気を出して話してくれた性癖を聞いて、引く必要あるか?笑い話でよくないだろうか?って思う。

 

性癖に限らず、世の中もっと実害があるかどうかに目を向けた方がいい。

実際にレイプや監禁が性癖であっても実害を出さなければ問題にはならないし、責められることもない。それこそavを見ることや気の合う人間同士でそういう欲求を消化することができていればいいと思う。

 

気持ち悪いのは実害を出してしまう人間と、私のように公言をする人間。

だから、私は気持ち悪い人間代表として、これからも生きていきたいし、他人に見られるかもしれない状況が好きだし、1人でしているのを見るのも好きだし、おしっこをぶっかけられたいし、他にもいろいろある。

でも実害を出す気はないからいいですよね???

何か問題がありますか??